文化

11月1日は「泡盛の日」─ 首里三箇、全麹仕込み、仕次ぎ

編集:365おきなわ編集部
11月1日は「泡盛の日」─ 首里三箇、全麹仕込み、仕次ぎ
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泡盛の日とは、1989年(平成元年)に沖縄県酒造組合連合会が11月1日に制定した、泡盛の記念日です。 8月・9月に仕込んだ泡盛は、その年の11月から新酒として飲めます。製造の最盛期に入る日でもあり、11月1日を「いい月いい日」と読ませた記念日です。 造り方と飲み方の全体像は、泡盛の文化の記事にまとめています。

この記事の要点

  • 1989年、沖縄県酒造組合連合会が11月1日を制定。8〜9月仕込みの新酒が出る時期で、「いい月いい日」の語呂もある
  • 王国時代、製造は首里三箇の焼酎職に限られた。人数は40人とも48人ともされ、1875〜76年頃から民間にも広がった
  • いまの主原料はタイ米。輸入は大正末期、定着は昭和。黒麹で米をすべて麹にする全麹仕込みが特徴
  • 古酒表示は3年以上の全量。仕次ぎは親酒に若い酒を順に継ぐ技法で、戦前の長期古酒の多くは沖縄戦で失われた

11月1日が「いい月いい日」になった理由

1989年(平成元)、沖縄県酒造組合連合会が11月1日を「泡盛の日」と定めました。

8月と9月に仕込んだ泡盛は、その年の11月から新酒として飲めます。11月1日は製造の最盛期に入る日でもあり、日付を「いい月いい日」と読ませています。 首里城公園では、泡盛の日に合わせて酒造組合との共催行事が開かれた年もあります。 度数の高い蒸留酒なので、20歳未満の飲酒は法律で禁じられています。量は控えめに、運転する日は飲まないのが安心です。

首里三箇の焼酎職──許可された土地と職

琉球王国のころ、王府は泡盛の製造を首里三箇(いまの那覇市首里の赤田・崎山・鳥堀)の焼酎職に限って許可していました。この一帯は湧き水に富み、醸造と蒸留に向いていました。 首里城から1キロメートルも離れていない立地は、王府が目を配りやすい場所でもありました。

造り手の人数は、40人とも48人とも伝えられています。造った泡盛は、報酬として残すわずかな量を除いて王府へ納められ、無許可の醸造には流刑を含む罰がありました。

この限られた造り方が広がるのは、王国が終わった直後です。1875年(明治8)から1876年(明治9)頃には、民間でも酒造りができるようになっていきました。1880年の酒造税則は沖縄に適用されず、月額2円の焼酎税だけだったため、製造場は急増し、1893年には447か所になりました。

首里城の石積みと復元はグスクの記事に書いています。三箇のうち崎山には、いまも瑞泉酒造(首里崎山町1-35)があります。売店があり、見学も受け付けていますが、日曜は見学受付がありません。時間は変わることがあるので、事前に公式サイトでお確かめください。

タイ米は大正末期から。全麹仕込みは「米をすべて麹にする」

泡盛の骨格は、米、黒麹菌、全麹仕込み、単式蒸留の四つです。 地理的表示(GI)「琉球」(1995年6月30日指定、産地は沖縄県)では、黒こうじ菌(Aspergillus luchuensis)の生育した米こうじと県内の水だけを原料にし、県内で発酵・蒸留・貯蔵・容器詰めをします。

タイ米を使う理由と、使い始めた時期は別の話です。粒が硬くさらさらしているため黒麹の菌糸が伸びやすく、発酵の温度管理がしやすく、当時の他の米よりアルコール収量が多かったことが理由です。王朝時代の原料はよく分かっておらず、明治から外国産米が入り、中期までは唐米(中国や朝鮮半島の米)が主、末期にはベトナム、ミャンマー、台湾などの米も使われました。タイ米の輸入は大正末期に始まり、昭和に定着しました。明治・大正までは粟を混ぜる例もありました。

全麹仕込みは、原料の米をすべて米麹にし、水と酵母を加えてもろみを仕込む、一回だけの仕込みです。本土の多くの焼酎は、麹の一次仕込みのあと、芋や麦などの主原料を足して二次仕込みをします。泡盛はその二次仕込みをせず、米麹の風味を残したまま単式蒸留します。

黒麹菌はクエン酸を多く出し、高温多湿でも雑菌を抑えます。この菌の学名は琉球に由来し、「國菌」に指定されています。 麹を使う酒造りの技は2024年、ユネスコ無形文化遺産「伝統的酒造り」に登録されました。詳しくは泡盛の文化の記事に書いています。飲む以外では、コーレーグースと豆腐ようが泡盛を仕込みに使います。

古酒は3年の全量。仕次ぎは親酒に若い酒を順に継ぐ

店頭の「古酒」「クース」は酒税法の言葉ではなく、泡盛の表示に関する公正競争規約の呼び方です。3年以上貯蔵した泡盛を古酒と定義し、2015年8月1日以降は全量が3年以上のものだけが表示できます。年数は最も若い原酒に合わせ、1年未満は切り捨てです。それ以前は、3年以上が50%を超えていれば表示できた時期もありました。

仕次ぎは、その古酒を長く育てる技法です。親酒(仕次ぎの土台)か仕次古酒の一部を汲み、仕次酒(補充するより若い泡盛)を継ぎます。 製造年の違う泡盛を複数の甕に置き、古い甕から飲む分を抜いたあと、年数の近い甕から順に補填します。いちばん古い甕を親酒、その隣を2番、3番と並べ、若い側に新酒を置く流れです。

言葉意味
古酒(クース)3年以上貯蔵した泡盛。2015年8月以降は、全量が3年以上のものだけが表示できます
親酒仕次ぎの土台になる、いちばん古い側の泡盛
仕次酒親酒や仕次古酒に足す、より若い泡盛
仕次古酒親酒に仕次酒を継いで、甕などで貯蔵した泡盛

仕次ぎは、揮散したアルコールや香りを補い、急な若返りを防ぎます。バニラやカラメルのような古酒香が立ちやすいのも、仕次ぎの持ち味です。ただし、仕次ぎを重ねた年数が長いほど香りが強まる、というほど単純ではなく、長く置くだけでは仕次ぎと同じ香味にはなりません。

100年、200年は、いま店頭の年数表示ではありません。仕次ぎで100年を超える古酒が育っていた時代もありましたが、大多数は沖縄戦で失われました。「康熙もの」と呼ばれる200年超の古酒が存在した、という言い伝えも残っています。

若い原酒が少しでも入ると、ラベルの年数はいちばん若い側になります。100年継いでも、3年ものの仕次酒が混ざれば「3年古酒」としか書けません。いま酒造所では体系的な仕次ぎはほとんど行われておらず、受け継いでいるのは愛好家や飲食店が中心です。ご家庭で甕に継ぐときは、課税済みの泡盛同士の範囲を守り、ほかのものを混ぜないのが大切です。混ぜると無免許製造になってしまいます。

甕は壺屋などのやちむんでも作られてきました。素材の違いはシーサーの記事のやちむんの項が近いです。飲み比べをするなら、年数を先に伝える選び方を那覇の居酒屋3軒に書いています。

まとめ

泡盛の日は、1989年に沖縄県酒造組合連合会が11月1日へ置いた記念日です。8〜9月仕込みの新酒が出る時期であり、「いい月いい日」の語呂でもあります。王国時代の製造は首里三箇の焼酎職に限られ、人数は40人とも48人とも伝えられています。いまの主原料タイ米は大正末期から昭和にかけて定着し、黒麹で米をすべて麹にする全麹仕込みが骨格です。古酒の表示は3年以上の全量。仕次ぎは親酒に若い酒を順に継ぐ技法で、戦前に育った長期古酒の多くは沖縄戦で失われました。記念日に手に取る1本は、ラベルの年数と、その奥の土地と職の履歴を一緒に見る手がかりです。

参考資料・出典

公開資料は2026年11月1日に確認して編集しました。

よくある質問

Q. 泡盛の日はいつ、誰が制定しましたか?
毎年11月1日です。1989年(平成元年)に沖縄県酒造組合連合会が制定しました。8〜9月に仕込んだ泡盛がその年の11月から新酒として飲めること、製造の最盛期に入る日であること、11月1日を「いい月いい日」と読む語呂合わせが理由です。
Q. 泡盛はなぜタイ米と黒麹、全麹仕込みなのですか?
黒麹菌(Aspergillus luchuensis)がクエン酸を出し、高温多湿でももろみの腐敗を抑えるからです。全麹仕込みは、原料の米をすべて米麹にし、水と酵母だけで仕込む方式です。タイ米は粒が硬く乾いているため菌糸が入りやすく、大正末期に輸入が始まり、昭和に定着しました。王朝時代からタイ米だったわけではありません。
Q. 古酒(クース)とは何ですか?
3年以上貯蔵した泡盛を古酒と呼び、2015年8月1日以降は全量(100%)が3年以上のものだけが「古酒」「クース」と表示できます。年数を書く場合は、混ぜた原酒のうち最も若い年数に合わせ、1年未満は切り捨てます。
Q. 仕次ぎとは何ですか。100年古酒は今もありますか?
親酒(仕次ぎの土台になる古い泡盛)の一部を汲み、より若い仕次酒を継ぎ足して甕で育てる技法です。複数の甕を年順に並べ、近い年数の酒から順に補填します。仕次ぎで100年を超える古酒が育っていた時代もありましたが、大多数は沖縄戦で失われました。いま酒造所ではほとんど行われておらず、愛好家のあいだで受け継がれています。