沖縄にあった鉄道 ─ 「ケービン」が駆け抜けた、戦前の島の記憶

ケービンとは、戦前の沖縄を走った県営軽便鉄道「沖縄県営鉄道」の愛称です。 沖縄の移動といえば、車やバス、ゆいレール。でも戦前の沖縄本島には、蒸気機関車だけでなく、路面電車や馬が客車を引く鉄道も走っていました。今の街並みからは想像しにくい、島の交通の歴史をたどってみましょう。
この記事の要点
- 最初の与那原線は1914年に那覇〜与那原で開業。嘉手納線・糸満線と広がった
- 線路幅は762mm。那覇〜首里の路面電車や、馬が客車を引く馬車軌道も走っていた
- 沖縄戦で壊滅し、戦後も復旧されなかった
- 与那原には復元駅舎の資料館、那覇には転車台の遺構が残る
県民の足「ケービン」が走った島
中心となったのは、県営の軽便鉄道「沖縄県営鉄道」です。軽便鉄道とは、設備や規格を小さくした鉄道のこと。沖縄では「ケービン」の愛称で親しまれました。線路幅は762mmで、国内の多くの在来線の1,067mmより狭い規格でした。
最初の与那原線は1914年12月1日に那覇〜与那原間で開業。1922年には嘉手納線、1923年には糸満線が加わり、那覇を起点に本島の中南部を結びました。蒸気機関車が使われ、1930年にはガソリンを燃料に自走する「ガソリン動車」も導入されています。
ケービンは人々の通勤・通学を支え、サトウキビなどの貨物も運びました。人の移動と産業の発展をつなぐ、暮らしに身近な存在だったのです。
路面電車も、馬が引く鉄道も
同じ1914年の5月には、那覇と首里を結ぶ沖縄電気軌道の路面電車が開通しました。ところが、乗合バスの登場によって1933年に営業を停止。戦前の鉄道がすべて沖縄戦まで走っていたわけではありません。
さらに、糸満〜那覇、与那原〜泡瀬には馬車軌道もありました。これは、線路の上を走る客車や貨車を馬が引く仕組みです。道路を走る馬車とは違い、車両はレールに沿って進みます。汽車、電車、馬車軌道が、それぞれ島の移動や物流を担っていたのです。
戦争で失われた鉄道と、その後
戦争が激しくなると、ケービンは軍の管理下に置かれ、兵士や弾薬を運ぶ役割へ変わっていきました。1944年10月の十・十空襲では那覇駅などが被害を受け、同年12月には糸満線の稲嶺駅付近で列車爆発事故も起きています。
運行は1945年3月頃まで続きましたが、線路や施設の破壊によって困難になりました。沖縄戦で壊滅した県営鉄道は戦後も復旧されず、約30年にわたって人々を運んだ鉄道の歴史は途絶えました。
そして2003年8月10日、沖縄都市モノレール「ゆいレール」が那覇空港〜首里間で開業。2019年10月1日には、てだこ浦西駅まで延伸しました。戦前の県営鉄道とは別の路線ですが、沖縄の暮らしを支える新たな軌道系交通として歩みを重ねています。
今の街にも残る、ケービンの記憶
与那原町には、2014年に復元された軽便与那原駅舎展示資料館があります。当時の写真、路線図、年表の展示や切符切り体験を通して、鉄道があった頃の沖縄に触れられます。屋外には、駅の柱などが残る与那原駅跡もあります。
那覇バスターミナル横の交通広場には、車両の向きを変えるために使われた転車台の遺構が、発見場所から移築され展示されています。バスに乗る場所のすぐそばに、かつての鉄道の記憶が残っているのです。
車窓から眺める沖縄の街にも、以前は汽車や電車、馬が引く客車の風景がありました。次の街歩きでは、今の交通と昔の線路を重ねてみると、島の景色が少し違って見えるかもしれません。
参考資料・出典
那覇市歴史アーカイブ「那覇駅跡」:線路幅、与那原線の開業日、嘉手納線・糸満線の開業年、蒸気機関車とガソリン動車。
沖縄県公文書館「軽便鉄道(沖縄県営鉄道関係資料)」:暮らしと糖業、軍の管理下での輸送、1945年3月頃までの運行、転車台遺構。
軽便与那原駅舎展示資料館「歴史」:1930年のガソリン動車導入、路面電車、空襲と列車爆発事故、駅舎復元。
沖縄市「社会科副読本 講師用資料」:馬車軌道の仕組み、糸満〜那覇・与那原〜泡瀬の路線。
ゆいレール「沿革」:2003年8月10日の開業、2019年10月1日の延伸。
よくある質問
- Q. ケービンとは何ですか?
- 戦前の沖縄県営軽便鉄道「沖縄県営鉄道」の愛称です。軽便鉄道とは、設備や規格を小さくした鉄道のこと。線路幅は762mmで、国内の多くの在来線の1,067mmより狭い規格でした。蒸気機関車が使われ、1930年にはガソリンを燃料に自走するガソリン動車も導入されています。
- Q. ケービンはいつ、どこを走っていたのですか?
- 最初の与那原線が1914年12月1日に那覇〜与那原間で開業し、1922年には嘉手納線、1923年には糸満線が加わって、那覇を起点に本島の中南部を結びました。人々の通勤・通学を支え、サトウキビなどの貨物も運んだ、暮らしに身近な鉄道でした。
- Q. ケービンはなぜなくなったのですか?
- 沖縄戦で壊滅したからです。戦争が激しくなると軍の管理下に置かれ、1944年10月の十・十空襲では那覇駅などが被害を受けました。運行は1945年3月頃まで続きましたが、線路や施設の破壊によって困難になり、戦後も復旧されませんでした。
- Q. ケービンの跡は今も見られますか?
- 見られます。与那原町には2014年に復元された軽便与那原駅舎展示資料館があり、当時の写真や路線図、年表を展示しています。那覇バスターミナル横の交通広場には、車両の向きを変えるために使われた転車台の遺構が、発見場所から移築され展示されています。なお、2003年開業のゆいレールは戦前の県営鉄道とは別の路線です。


