平和・歴史

平和通り商店街 ─ 名前に込められた願いと、那覇のアーケード散歩

編集:365おきなわ編集部
平和通り商店街 ─ 名前に込められた願いと、那覇のアーケード散歩
平和通りの過去と現在を対比したイメージ画像。画像内の年代表示や街並みを、撮影時期・場所が確認された記録写真として示すものではありません。

平和通りとは、那覇の国際通りから続く全長約400メートルのアーケード商店街で、戦後の露天市場をルーツに持ちます。 衣料品や日用雑貨、食料品、お土産の店が並び、観光の買い物と暮らしの品が同じ通りに並ぶところに、この街を歩く面白さがあります。 その「平和」という名前には、戦後の人々の願いが込められていました。

この記事の要点

  • 名前は「平和な世を望む思い」と入口の「平和館」にちなむと紹介される(命名年は案内により違いあり)
  • ルーツは戦後の露天市場。開南の闇市「上町小」から市場通りを経て発展した
  • アーケードは1981年完成。振興組合の総店舗数は170(那覇市一覧)
  • 隣の第一牧志公設市場は2023年にリニューアル。「持ち上げ」で買った食材を2階で調理できる

露天市場から始まった、復興の通り

沖縄観光コンベンションビューローの紹介によると、平和通りのルーツは、戦後に開南から牧志にかけて自然に生まれた露天市場です。復興期には壺屋で陶器づくりが再開され、仕事を求めて人々が集まり、その周辺で物の売り買いが盛んになったとされています。

1951年、「平和通り」と命名。 平和な世を望む思いと、当時入口にあった「平和館」にちなんだ名前だと紹介されています。その後、衣料品店や飲食店などが集まり、1981年にはアーケードが完成しました。いま見上げる屋根にも、戦後から続く商店街の歩みが重なります。

お土産と日用品を、同じ通りで探す

那覇市の調査では、平和通りは国際通り側から新栄通りへつながる、アーケードを備えた歩行者専用道路として紹介されています。お土産だけでなく、衣料品や食料品、日用雑貨も扱う商店街です。

買いたいものをひとつ決めて歩くのもよいですし、気になった店先で足を止めるのも楽しみ方のひとつ。旅先らしい品物を探しながら、日々の生活に使う品にも目を向けると、通りの見え方が変わりそうです。

屋根があるので、強い日差しや雨を避けながら歩く行程にも組み込みやすい場所です。ただし、周辺の路地まで散策するなら雨具も用意しておくと安心。商店街全体が一斉に開閉店する施設とは考えず、目当てのお店があるときは、そのお店の営業案内を確認してから訪ねましょう。

牧志公設市場と壺屋へ、散歩をつなぐ

周辺まで歩くなら、第一牧志公設市場も合わせて訪ねたい場所です。市場は建て替えを経て、2023年3月19日にリニューアルオープンしました。平和通りと市場本通り、市場周辺をつなぐと、買い物と食文化を一緒に楽しむ散歩になります。

さらに壺屋へ足を延ばせば、通りの成り立ちに登場した陶器づくりの街へ。那覇市観光協会の散策マップでも、平和通り、第一牧志公設市場、壺屋やちむん通りが紹介されています。初めてなら、地図で位置関係を確かめながら、国際通りの入口から市場周辺、壺屋方面へと歩く行程を考えてみてください。

平和通りは、復興の中で生まれ、暮らしと観光が交わり続ける商店街。名前の由来を知ってから歩くと、アーケードの下の買い物にも、那覇の歴史を感じられるかもしれません。

始まりは、開南の「上町小」という闇市だった

平和通りの物語は、開南の高台から始まります。地理学の研究によると、1947年に一部の土地が開放されると、開南には「上町小(うえまちぐゎー)」と呼ばれる闇市場が自然発生しました。近郊農村の野菜や糸満の魚介などが集まる流通の結節点でしたが、衛生面などの問題もあり、市場はガーブ川の低地へ移ることを余儀なくされます。区画に縄を張ってテント小屋が設けられ、1948年4月、事実上の公設市場として市場の歴史が幕を開けたとされています。

移転先の整地も、商人たち自身の手で進みました。有志が集客のための魚市場を開設し、波の上から砂や石を運んで、爆弾痕の穴や沼沢地を埋め立てたといいます。そこへ上町小の商人たちが移り、通りは「市場通り」と呼ばれるようになりました。1951年の新聞が「那覇市最大の繁華街」と書くほどにぎわっていたそうです。

通りの整備も、商人たち自身の手で

市場通りの発展は、行政任せのものではありませんでした。通り会は1950年に「防犯と商業発展」を目的に街灯を設置し、1951年には那覇市からアスファルト資材の供給を受けながら、通り会側が受益負担金60万円を拠出して舗装工事を実施しました。そして1952年、第一回商工祭を前に、「平和通り」への改称が決められたと研究は整理しています。命名の年次には案内による違いもありますが、名前が商人たちの節目に生まれたことに変わりありません。

いまの屋根付きの姿を支えるのも、この流れです。那覇市の概要一覧によると、那覇市平和通り商店街振興組合は1980年4月に設立され、総店舗数は170とされています。アーケードが完成したのは、その翌年の1981年でした。

市場は「買う1階」と「食べる2階」で楽しむ

隣接する第一牧志公設市場の歩き方も、那覇市の公式案内で確かめられます。市場は戦後間もない1950年に開設し、現在の建物は二度目の建て替えを経て2023年3月にリニューアルオープンしたもの。1階には精肉・鮮魚・生鮮食品などを扱う75店舗が軒を連ね、2階には食堂が並びます。

名物の「持ち上げ」は、1階で買った精肉や鮮魚を、2階の食堂で調理してもらう仕組みです。那覇市の案内では、調理は有料で一部商品に限られ、調理ラストオーダーは午後7時45分とされています。営業時間は午前8時から午後10時までを基本としつつ店舗ごとに異なり、毎月第4日曜日(12月を除く)などが休みになるため、出かける前に市場の案内を確認しておくと安心です。

参考資料・出典

[1]那覇市「令和4年度 那覇市中心商店街通行量調査報告書」平和通り:全長約400メートル、店舗の構成、国際通りから新栄通りへの接続、歩行者専用道路。

[2]おきなわ物語「ノスタルジックな魅力いっぱい!沖縄平和通り商店街」(2023年11月8日):戦後の露天市場と壺屋の関わり、1951年の命名と名前の由来、1981年のアーケード完成。

[3]那覇市観光協会 NAHANAVI「第一牧志公設市場」:2023年3月19日のリニューアルオープン。

[4]那覇市観光協会 散策マップ:平和通り、第一牧志公設市場、壺屋やちむん通りの位置関係。

[5]加藤政洋・河角龍典・櫻澤誠「戦後那覇の都市化と地名の生成に関する地理学的研究」:闇市場「上町小」、ガーブ川低地への移転と1948年4月の事実上の公設市場、整地と「市場通り」の成立、街灯・舗装・改称の経緯(2026年10月26日確認)。

[6]那覇市「商店街及び通り会の概要一覧」:那覇市平和通り商店街振興組合の設立時期(1980年4月)と総店舗数(170)(2026年10月26日確認)。

[7]那覇市「第一牧志公設市場基本情報」:1950年の開設と建て替えの経緯、1階75店舗と2階食堂、持ち上げ食材の調理ラストオーダー(午後7時45分、有料・一部商品のみ)、営業時間と定休日(2026年10月26日確認)。

資料確認日:2026年10月16日。個別店舗の営業時間・休業日は、訪問前に各店の最新案内をご確認ください。

よくある質問

Q. 平和通りの名前の由来は?
平和な世を望む思いと、当時入口にあった「平和館」にちなんだ名前だと紹介されています。沖縄観光コンベンションビューローの紹介では1951年の命名とされていますが、地理学の研究は、1952年の第一回商工祭を前に改称が決められたと整理しています。命名の年次には案内による違いもありますが、名前が商人たちの節目に生まれたことに変わりありません。
Q. 平和通りの歴史は?
戦後に開南から牧志にかけて自然に生まれた露天市場がルーツです。開南の闇市場「上町小」から、ガーブ川の低地へ移って「市場通り」と呼ばれるようになり、通り会が街灯の設置や舗装を担いながら発展しました。アーケードは1981年に完成し、那覇市の概要一覧では振興組合(1980年4月設立)の総店舗数は170とされています。
Q. 平和通りでは何が買えますか?
那覇市の調査では、国際通り側から新栄通りへつながる歩行者専用道路で、お土産だけでなく、衣料品や食料品、日用雑貨も扱う商店街として紹介されています。観光の買い物と暮らしの品が同じ通りに並ぶのが特徴です。商店街全体が一斉に開閉店する施設ではないため、目当てのお店があるときは各店の営業案内を確認してください。
Q. 第一牧志公設市場の「持ち上げ」とは?
1階で買った精肉や鮮魚を、2階の食堂で調理してもらう仕組みです。那覇市の案内では、調理は有料で一部商品に限られ、調理ラストオーダーは午後7時45分とされています。市場は1950年に開設し、現在の建物は2023年3月にリニューアルオープンしました。営業時間は午前8時から午後10時までを基本としつつ店舗ごとに異なり、毎月第4日曜日(12月を除く)などが休みになります。