ひめゆりの塔とは?沖縄の戦火に消えた少女たちの記録を訪ねる

ひめゆりの塔とは、沖縄県糸満市伊原にある、ひめゆり学徒隊の慰霊碑です。 本島南部の静かな丘の上に、白い塔が立っています。沖縄戦で地上戦が繰り広げられたこの島で、十代の少女たちが看護要員として戦場に動員され、その多くが命を落としました。戦火の中で何が起きたのか。塔と資料館を二本柱に、公式の記録からたどります。
この記事の要点
- ひめゆり学徒隊は1945年3月、看護要員として動員された生徒222人・教師18人の通称
- 動員240人のうち136人が死亡。その多くは6月18日の解散命令の後に犠牲になった
- 塔に刻まれる名前は227人。最初の塔は1946年建立、現在の塔は1957年に建てられた
- 隣接するひめゆり平和祈念資料館は1989年開館(9:00〜17:25、入館受付17:00まで、年中無休)
看護要員として戦地に送られた少女たち――ひめゆり学徒隊
「ひめゆり学徒隊」は、那覇市安里にあった沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒・教師が、看護要員として沖縄陸軍病院に動員された部隊の通称です。資料館は、両校の愛称が「ひめゆり」であったことから、戦後そう呼ばれるようになった、と説明しています。動員は1945年3月23日夜。生徒222人と引率教師18人、あわせて240人が南風原の病院壕へ向かいました。
病院は兵隊のための施設で、小高い丘に40近い壕が掘られていました。生徒の多くは、尿や便の片付け、水や食事の世話、包帯交換の手伝い、壕の外へ出る飯上げや水くみ、死体埋葬などに当たりました。5月25日には病院へ撤退命令が出され、糸満の伊原一帯で6つの壕に分かれます。医療器具も薬品も足りず、病院としての機能は失われていきました。
1945年6月18日夜、学徒隊に解散命令が言いわたされました。壕を出た生徒たちは、茂みや岩陰に身を隠し、海岸へ追い詰められていきました。資料館によると、動員された240人のうち136人が死亡。その86%にあたる117人が、解散命令のあと死亡または行方不明になりました。「解散命令」は、結果的に米軍の包囲網の中へ生徒を放り出すことになり、その後の犠牲を増やした、というのが公式の整理です。
現在の塔が建つガマは、南部撤退後に沖縄陸軍病院第三外科が入った「伊原第三外科壕」です。ひめゆり学徒を含む看護婦や兵隊、住民などおよそ100名が隠れており、19日早朝の米軍攻撃で80名あまりが亡くなりました。
塔に刻まれているのは209人ではありません。公式は227人と案内しています。内訳は、学徒隊として動員された生徒と教師136人、学徒隊以外の在校生と教師91人です。最初の塔は1946年4月5日、現在の塔は1957年6月の建立です。
沖縄戦の記憶に向き合う――ひめゆり平和祈念資料館
塔の隣にある「ひめゆり平和祈念資料館」は、1989年6月23日に開館した民立・民営の平和ミュージアムです。運営は公益財団法人沖縄県女師・一高女ひめゆり平和祈念財団。展示は2021年4月11日に2回目のリニューアルオープンを行いました。実物資料や写真、イラスト、証言映像を通して、学徒隊の沖縄戦を伝えています。
資料館は糸満市字伊原671-1(ひめゆりの塔敷地内)にあります。開館時間は午前9時から午後5時25分、入館受付は午後5時まで、年中無休です。台風接近時などは臨時休館することがあります。塔自体は、資料館の閉館後も訪れることができます。展示室内の写真撮影や通話、飲食はできません。ここは観光地であると同時に、今も大切な慰霊の場所です。施設の案内に従い、静かに見学してください。
沖縄を旅する誰もが一度は触れる名前、「ひめゆり」。それは沖縄戦の記録にとどまらず、命の重さと平和の尊さを問い続ける場所です。
参考資料・出典
ひめゆり平和祈念資料館「ひめゆり学徒隊の沖縄戦」:動員240人(生徒222・教師18)、死亡136人、解散命令後117人、伊原第三外科壕。
ひめゆり平和祈念資料館「ひめゆりの塔」:1946年4月5日の最初の塔、1957年6月の現在の塔、刻銘227人。
ひめゆり平和祈念資料館「基本情報」:1989年6月23日開館、住所、運営財団。
ひめゆり平和祈念資料館「よくある質問」:刻銘227人の内訳、学徒隊240人。
ひめゆり平和祈念資料館「沿革」:動員日、塔の建立、資料館開館、2021年4月11日の展示更新。
ひめゆり平和祈念資料館「利用案内」:開館時間、年中無休、見学時のお願い。
よくある質問
- Q. ひめゆりの塔とは何ですか?
- 沖縄県糸満市伊原にある慰霊碑です。沖縄戦で看護要員として動員された「ひめゆり学徒隊」の犠牲者を慰霊するために建てられました。塔が立つ場所は、南部撤退後に沖縄陸軍病院第三外科が入った壕(伊原第三外科壕)の跡です。
- Q. ひめゆり学徒隊とは何ですか?
- 沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒・教師が、看護要員として沖縄陸軍病院に動員された部隊の通称です。両校の愛称が「ひめゆり」であったことから、戦後そう呼ばれるようになりました。1945年3月23日夜、生徒222人と引率教師18人、あわせて240人が動員されました。
- Q. 犠牲者は何人ですか?
- 資料館によると、動員された240人のうち136人が死亡しました。その86%にあたる117人は、1945年6月18日の解散命令のあとに死亡または行方不明になっています。塔に刻まれているのは、学徒隊として動員された136人に、学徒隊以外の在校生と教師91人を合わせた227人です。
- Q. ひめゆり平和祈念資料館の開館時間は?
- 午前9時から午後5時25分までで、入館受付は午後5時まで、年中無休です(台風接近時などは臨時休館することがあります)。塔自体は資料館の閉館後も訪れることができます。展示室内では写真撮影や通話、飲食はできません。


